沖縄県はなぜコンクリート住宅が多いのか?

設計のヒント
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沖縄県における住宅の歴史と背景

沖縄県における住宅の歴史は、琉球王国時代から始まります。琉球王国時代の住宅は、平家建築と呼ばれる瓦葺きの建物で、一般的に軒の高い屋根と四方に伸びる石垣が特徴的でした。 家の中心にある床上げ式の畳を備えた座敷や、家庭内で作業するための作業場などもありました。


昔の沖縄のおうちは縁側(エンガワ)からの出入りで、そこから見て部屋に番号が付いています

一番座
縁側から見て右端にあたる部屋で、主に客間として使用される部屋。

二番座
縁側から見て正面にあたる部屋で、仏間として使用される部屋。

三番座
現在のリビングとして使用される部屋。

裏座
各座の裏側の部屋で寝室や収納、多目的に使用される部屋。

家の正面に目隠しの塀(ヒンプン)があります。屋敷の内と外との仕切りの役割も果たし、外から魔が入ってくるのを防ぐというおまじない的な意味のある壁があるのも特徴です。

沖縄の伝統を少しでも取り入れたいので、私の事務所でもヒンプンをデザインに入れる事が多いです。

琉球石灰岩を積んだ石垣や、台風対策として、家の周りを取り囲むようにフクギという木を植え防風対策していました。


美ら海水族館の近くにフクギ並木が、昔のまま残っている集落があります。(名護市備瀬)フクギ並木からエメラルドグリーンの海が見える所もあり、とても癒やされます。備瀬のフクギ並木と検索すれば出てくるので、観光におすすめです。

明治時代になると、日本本土と同様に西洋の文化や建築様式が導入されるようになり、琉球王国時代の伝統的な住宅から転換が始まりました。また、第二次世界大戦後の沖縄戦で、多くの住宅が焼失したことから、戦後の復興期には、簡易的な木造住宅(トタン屋根やトタンの壁の建物)が建てられました。

まず、沖縄県では第二次世界大戦中に激しい戦闘が繰り広げられ、多くの住宅が破壊されました。そのため、復興期には、地元の建築家がコンクリート造の住宅を建てることが多くなりました。また、アメリカの統治下にあったこともあり、アメリカ式の建築技術や素材が導入され、それらがコンクリート住宅の普及にもつながりました。

さらに、沖縄県は台風や地震などの自然災害が多く、建物の耐久性が求められています。コンクリートは耐震性・耐風性に優れているため、自然災害に強い建物として、また、長期的なメンテナンス費用も抑えられるため、多く沖縄県民の常識が、建築を建てるなら「コンクリート造だろ!」と言う認識になっていると考えられます。

沖縄の建設業は戦後からコンクリート造が常識的になったのもあり、コンクリートに特化した業者さんも多い事から、高級住宅とされるコンクリート造の住宅の単価が県外と比べると安い傾向にあります。
その逆で、県外では一般住宅に採用される木造は、沖縄県内では出来る職人さんが少ない事から割高になっています。

決してコンクリート造をおススメしているわけではありません。
木造でも100年以上建っている建物もありますし、どの工法でも、メンテナンス次第で建物は長持ちします。

建築設計事務所スケルトンは、沖縄の古民家特有のヒンプンや、深い庇などを活用して日光を遮る提案を行っています。また、亜熱帯地方の高温・多湿な環境に対する解決策を考え、お客様の快適な居住環境を追求しています。

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